個人で数百年・数百万キロなんてあり得ないのは当然です。
しかし我々作業者はお客さんの距離や経験を学び・知る事ができます。
それを積算して行くとそのような値になり、今後の力強いバックボーンになってきます。
例えば
1台のバイクを一人のオーナーが新車~10万キロまで至る経緯を体感しているとしましょう。
しかしすべての整備や修理の状況は体感できません。情報伝達で知っているだけ。
10万キロも走ればそのバイク1台の事を全て知って体感できている様で実はまだまだ深層部をあると言う事かもしれません。
状況はケースバイケース
最近ではあまり見かけませんが、良くわからない経験論を強く持っている方がいます。
相談を受け、修理・故障の話をしてると
”そこは違うと思う” ”そこは以前OHした交換した” ”どこが原因ですか?”
”原因や正解や答え”と言うワードが出る時点でちょっと説明に時間掛かりそう。。。。
と思ってしまいます。
例えば、パンクは”釘や金属破片が刺さる”のが至る最後の要因。
しかし、その前に路肩走行や空気圧やタイヤの残量などは加担していないだろうか。
原因が重要?至る経緯まで必要なのでは?
”原因や正解や答え”と言うワードを使う事により迷宮はより深まっていきます。
故障や怪病や修理は算数ではありません。
近しい道筋はありますが、明確な道筋は存在しません。常に流動的な事例だと思っております。
部品の経年劣化や消耗や腐食や歴史的・人為的ことまでも視野に入れて置かねばいけません。
真っ直ぐに言い切られると安心?
私はどのジャンルでも基本的に物事を言い切る人を参考にしない事にしております。
安心させる術として言い切る人もいるでしょう。
実際、本当にそうなのかな・・・
それを鵜呑みにしていいのかな。。。。
何事も鵜呑みにする位なら自分で判断したいと、私は常に思っております。
丸覚え・鵜呑みではなく常に参考として学ぶ気持ちがまだ見ぬ選択肢を増やしてくれるのだと思っております。
実際に様々な角度から話をして揺さぶらないと人間の腹の中は見えてきません。
数値的な事にしても、どのようにその値を標準化したしたのか?
と考えると世の中の曖昧さをより知る事ができます。
故障は盲点と重複
例えばキャブレターからガソリンが漏れるとしましょうか。
これだけ聞いて一発で1000件の漏れるに対する事例を解決できれば素晴らしいです。
このワードを想像するだけで色々と漏れるまでの経緯を想像出来ると思います。
闇雲にキャブレターへ手を伸ばさずにまずは一呼吸置いて良く考え・観察しましょう。
まさか?ホースにクラック入っていたと言うケースもあります。。。
例えば漏れはオーリングだった。
なぜオーリングが悪くなったのか?保管状態や使用状態に問題はなかったのか?
結果や答えだけ追い続けると再発します。
結果や答えには意味はなく、なぜそうなったのか?を考えるとより深く知り改善されていくと思います。
これは何事にも当てはまると思います。
その都度、補修パッチを当てるより経済は満たされていきます。
今までの経験を机に並べてみて、確認に手間が掛からないものや確立の高いものから優先的に手を伸ばし確実に消去し進む事が近道だと思います。
故障究明も整理整頓も同じ
怠いので思い立った個所に考えもせずに手を付けた。
仮テンでその場しのぎで処理した。
症状が曖昧なので濁した。
例えば引き出しが開かない。
引き出し内のモノが散乱しているのか、スライドがおかしいのか。
まずは、よぉ~く確認することが重要。
引き出しのモノを減らしたら改善した。
問題のスライドをテープしたら取り合えずは凌げた。
開いたり・開かなかったりするがガチャガチャして濁した。
こんな経験沢山あると思います。私も同じくです。
しかし間違いなく細かな事をしっかりと処理しておく方が人生的にも豊かになると思います。
結果に至るまでの経緯があります。
”いや俺は普通に使っていただけです”。。。。。
ではその普通とは。。。
その普通をどのように一般化、標準化し定義したのか・・・・
書いているだけで面倒臭そうな奴と思われそう。。。まぁそれで良いのです(*’ω’*)